いつからかムービー=『悪』になってるけど
作り方が悪い
今のムービーって一方的にゲームから流されて来るものだから見るのが苦痛だけど
本当はプレイヤーがやった行動に対する結果を表すのがムービー
プレイヤーが間違った手順を行った場合 ⇒ 主人公が殺されるムービーが流されてゲームオーバー
プレイヤーが行き止まりに侵入した場合 ⇒ 窓をどんどん主人公がたたいて「だめだここは通れない」との趣旨をプレイヤーに伝えるためのムービー
プレイヤーの行動が正解、次へ進む場合 ⇒ 「扉が開いた」を示すムービー
こんな感じでプレイヤーのやった結果や現在の状態を端的に伝えるのに適してるのがムービー
プレイヤーがプレイングをするためのサポート
ではないかな?
ご褒美ってのも違うな
それはそれで造り方が悪い
世界観を端的に表現するため
ストーリーを体験させてゲームを進めるモチベーションを上げるため
攻略が出来たという余韻に浸らせるため
と色々な使い方はあるが
ご褒美と言われるようなムービーを見るためにゲームを進めるようなつくりは
その時点でゲームに入り込めてない証拠でしかない
>>7
どれも違うのでは
今の使い方が、世界観を表現するためだったり、ストーリーを伝えるためだったり
ゲームから乖離してる
本当のゲームのムービーはゲームと一体化していないといけないのでは?
ゲームと一体化してないから、ゲームと関係ないものがご褒美になりえない
そういう伝統は悪くないと思うけどね
実を言うとゲームらしいゲームはスマートフォンゲームに継承されてる
美麗なムービーなんてやってる暇も容量もないから楽しいところをすぐ遊ばせるように出来てるんだ
一応言うとガチャガチャまみれの売上ランキングにいるような奴じゃねえぞ
継承されてないと思うけど
という現状に問題があるんやろうね
映画はだいたい100分ぐらいずっと観続けて完成するようにできている
ゲームでちょこっとづつ出てくるムービーはあんま意味ないね
「映画みたいなゲーム」も近年の100人サバイバル系で完成したが
それは遊ぶこと自体がムービーそのものになっている
3DOとか
スタイリッシュな剣戟
クールなガンアクション
そしてボディに対するパンチや蹴りで吹っ飛ばされる味方キャラ
こんなムービーが僕は見たい
そういうのも全部「自分で直接遊ぶ中で発生」っていうスタイルなのが100人サバイバル系なんだよね
ゲームと一体化するムービーとは
ゲームの一部分、ゲームの構成要素としてのムービー
特定の条件を達成した場合に初めて見られる
そのムービーを見られる事は特別な事で本来できない事を達成した事でみられるご褒美
ならそれはご褒美といえるのでは?
それを必ずどうやってもそのムービーはみられる(見なきゃいけない)前提だったらご褒美にならない
あなたの理想がイマイチ見えてこない
具体的にどのゲームのムービーの使い方がいいと思うの?
>>23
例が思い浮かばないけど、プレイヤーの行動に対して受け身に結果として流されるムービーの使い方
プレイヤーはこういう行動をとりました
⇒その行動をとったプレイヤーに対する採点として与えられるムービー
例えば、密室から外に出るんだったら
外に出られる条件をそろえてそれを実行した場合の、ちゃんと外に出れましたって結果を表現するムービー
試した事が失敗したらその失敗を示すムービー
こういう使い方
プレイの結果を示すのが目的ならムービーじゃない方が良さそうだな
テンポ悪くなるしSEやエフェクトでやって欲しい
>>35
ムービーは重要な変化を伝達するのにとても都合がいいんだよ
密室に閉じ込められたプレイヤーが外に出たいから出口を探す過程で壁をどんどんたたいたら
結果としてがけが崩れて来るムービー
とか
でも、細かい変化を表現するのには適してないんだよね
ボタン押したら扉が開く として
昔からよくあるバタンというSEを挟むのと
扉が開くムービーを挟むのなら
断然前者がいいので前者が多用されてる
>>46
扉とか通常の行動範囲はいちいちムービー流したらマイナスだけど
大きな変化の場合『変化が起きましたよ』というのを伝える目的で
例えば、プレイヤーがそれをやった事で段階委が次へ進んだり
バッドエンドになったり
バッドエンドっていうのは状況変化の最たるものの一つだと思う
やってはいけない行為をやったり、やってはいけない段階を踏み続けたりした場合
『貴方は失格ですよ』を伝える
なんかkoroされるムービーとかで
>>52
そういう演習は必要だね
でも演出ってムービーだけじゃないからね
抽象論だけだとこれ以上語りようもないけど
バットエンドだと言ってもサクッとガメオペラのカットインの方が適してるケースも多い
そういう使い方のムービーはもう30年以上前にあって、とっくに廃れてるわw
>>40
例えば?
このムービーの使い方だったらムービーはちゃんと適合するし
むしろ今のゲームに必要なものでは?すたれる必要がない
全然違ってるし・・・
>>48
じゃこれかい?w
https://www.youtube.com/watch?v=1TwADRkIuwI&list=PL892E099D2D7E0BF3
ダンジョンを移動する度にムービーで移動するし、戦闘などでもなにもかも何かプレイヤーがやるたびにムービーでみせてくれるぜ?w
あと、これもな
https://www.youtube.com/watch?v=M6DyssU3gxg
インタラクティブムービーというジャンル名までつけたやーつ
Dの食卓は当時で考えると何やかんや斬新だったとは思うなー
まあ、今はそのジャンルはすたれてるってのも確かだろうけど
>>53
何かプレイヤーがやるたびにムービーっていうのはちょっと違うかな
本当に特別な事をやった場合にやっとムービーがみられる=ご褒美
それと、状況を的確に説明するツールには最適だと思う
洞窟入口まで歩いてきたら⇒大きな石が落ちてきて道をふさぎました
とか、説明するのにムービーは効果的
兎に角、プレイヤーに対して受け身にムービーは流されるべき
そこが決定的に今ダメなんじゃないかな?
受け身じゃないから、一方的に言いたい事だけ言ってきて見るに堪えない
言いたい事は何となく分かって来たけど
そこまで範囲広げるとダメなムービーってほとんどなくね?
>>73
プレイヤーに対して能動的に流されるムービーはダメ
プレイヤーが聞きたい事を的確に返すのがいいムービー
プレイヤーがこういう行動をとりましたよ、ではそれに対してゲームはなんかないの?
ムービーで返答or無返答
無返答だったら今の行動はキーたりえないんだろう
・長くても30分ぐらいで終わる
・繰り返してやれる、毎回展開が変わる
・時に映画のような展開すらある
・主人公は自分(+味方)
これが真の「映画みたいなゲーム」だったのである
タイムギャルとかのLDゲーも当てはまるかもな
>>21
LDゲームはあくまでROMで限界があるところを多人数対戦で無限にしたところが
技術の発達なんだろうね
人工知能や遺伝子プログラムみたいな仕組みが発達したら
ソロゲームでも同じようなことができるようになるかもしれん
>>19
「映画みたいなゲーム」=映画世界の中で映画の登場人物のように動けるゲーム
映画たっだら決まった選択しかとらないけど
もしも、それとは別の行動をとったなら・・・が体験できる
では
>>24
それは前提条件なんで>主人公として動く
ゲームと映像のみメディアの最大の差だよね
ps2位から飽きられたけど
ご褒美じゃなくモチベとなる粗筋を演出面で補強するものだろ
うまくいってるとプレイヤーが盛り上がるがちぐはぐだと無い方がマシ
ムービーだけ先行してゲーム内容が後追いしてる場合はプレイ感とちぐはぐになりやすいイメージ
RPGでさっきまでの戦いは何だったんだ・・・っていう展開するムービーなw
イベントにたどり着くことで起こるものという意味ではご褒美には違いないが、
その手のご褒美としては、美麗プリレンダムービーというのは「ありがたみ」がもう全然無いんだなぁ 今では
20年くらい前のゲーム機だと、美麗プリレンダというもの自体が有り難みがあってご褒美たりえた
あって当たり前、な世の中になったらもう有り難みは全然ない
それどころか制作側がはりきって長尺にしたがるもんだから、見るのが苦痛になってきてご褒美どころか害になってきたわな
>>32
イベントに到達する事で起こるっていう形状だと駄目じゃないかな
プレイヤーが自分でなんかやった結果を返すゲームサイドの返答がムービー
プレイヤーの主張に対する、ゲーム側からの自己主張
プレイヤーが何をやってもゲーム側が無反応で暖簾に腕押しだったらつまらない
ゲーム側からの返事がないと
プレイングはプレイヤーからゲームへ送ってる手紙みたいなもので
返信が来たら嬉しいものでしょ
=ご褒美
ムービーが目新しかったPS1初期は
たかが玩具にすぎないゲーム機で凄い映像が流れる驚きや
金がかかってる物を買ったというオトク感はあったなぁ
現在はそういう物は無くなって
ゲームとムービーの内容によってご褒美だったり苦痛だったりと様々
ムービーゲーにこれ以上ない事は当時の時点で分かった
そもそも今のムービーはただの独り言で、しかも長い
だから苦痛
そういうのを見てるからムービーの意義が見えないだけ
FFは流石にやりすぎだけど
旅に出よう。仲間が増えた。アイテムを探せ。敵を倒せ。敵をやっつけた。
を説明し演出するのがムービー含めたイベントシーンのやくめでしょ
でもエンディングムービーだけは純粋にご褒美要素と言っていいだろうな
普段見れない隠された演出とかご褒美じゃないかな
ベストエンドにつながる分岐には入れた時に流されるムービーとか
ムービーは用意しておいた固定だからね
動的にできないからプレイ内容に追随できない
プログラム的なイベントの方がプレイ内容を反映できたりする
イベントシーンも別に動的じゃなくて 自分で操作しないんだし
あんまり反映しすぎると装備品によって
ムービーがギャグっぽくなっちゃうこともあるけどねえ
(ゼノブレイドとか)
イベント発生でアニメーションをするグラフィックに憧れがあったからね
その反動で売れたのがプレステ1になる
プレリンダムービーや肉声をCDに入れられるアイデアは当時の理想的なハードのあり方で
ずっとゲームを遊んできたキッズの夢を叶えた形でもあったからね
しかしN64が出てきた頃からリアルタイムで動くムービーの演出に世界も度肝を抜かれた
時岡やマリオ64の衝撃は計り知れない
その後のゲーム作りにも影響を与えるまでになったからね
ムービーがご褒美だった30年前の作り方と
N64以降を皮切りに進化した現代のゲームでは根本的な物が違う
>>60
常時から”凄い”を詰めすぎなんじゃないかな
普段時は地味に何も起きない
特別な状態になった時にのみ特別な演出を
緩急付けて
そうでないとゲームとしてプレイングに対する見返りにならない
プレステは正直糞ポリゴン糞ロードすぎてガッカリしたなぁ
自分で遊ばず動画サイトで視聴するようになりそう
今あなた「スパロボ」の話をしましたね?
プレイヤーはすごい技術を見たい訳じゃない
「ゲームをしたい」んだから
どんなプレイングをすればどんなご褒美が、そんなプレイングをできなければどんな罰が
全部達成できたら何が貰えるのか
そういうのがゲームの真骨頂でしょ
昔のハードは綺麗なCG映像を映すだけでも困難なヘボ性能だったのよ
今みたいに実際のキャラを動かして芝居をさせるなんて夢のまた夢
だから実際のキャラよりも小綺麗にしたムービーを挿入したりした
昔は綺麗なムービー自体がご褒美だったんだ
今の6600万ポリゴンうんぬんみたいに綺麗なムービーを流せるのがハード性能を表すものでもあったの
もっと言うなら昔は個人向けのコンピュータなんてなかったしコンピュータグラフィックスやコンピュータミュージックなんてよく分からないけど凄いイメージだったんだ
映画の冒頭にCGの鳥の羽をヒラヒラさせて落ちていく映像を十数秒挿入して何千万とか何億なんて時代があったの
今では笑い話だけどCG流すだけでご褒美だったしだいだったんだよ
長文スマンぬ
>>69
とってもよく分かる懐かしい感覚だわw
クソゲーであっても「豪華CGを見られるオトク感」で許してた
そういうクソゲーって今思えばリソース配分に失敗しただけなんだけどね
もしボリュームが一般的JRPG程度だったらムービーゲーと呼ばれてそう
ゲームサイドから一方的に言いたい事だけ流されてきても飽き飽きだけど
自分がやった事に対して受け身に帰って来る結果だったら、耳を傾けてみたいと思うはず
自分のやった事はゲーム的にどう評価されたのか興味津々
なのでムービーが楽しみ
ご褒美
ff8はよくできてたけどな
7はそこまでムービー過多な印象は無い
特に要らないよな
アニメ小芝居とか
ただ今だとムービーゲーについては「そういうとがった部分のあるゲーム」と捉えなおしたらありになってきた
プレイアブルな時間が多いゲームが普通のゲームでムービーゲーは変わったゲームという認識ね
日本人がそういうゲーム好きだということなんじゃないの
それが違うならこれまでの見せ方を模倣してるだけ
両方かも分からんね
鉄拳のエンディングが思い浮かぶ
AC版にはなかったし確かにCG技術が高くてセンスも良かった
ご褒美という感覚があるのは鉄拳3ぐらいまでだけど
PS2からは、あぁ今回もすごいね程度