64はポリゴン
wiiは新しい遊び方
キューブ ただディスクになっただけ
このハード何がしたかったの?
画像元(画像はイメージです)
ttps://twitter.com/aikatsu_fc3s/status/995255881683034112
起動ジングルの短さといい、勝ってソフトが揃ったら早くて綺麗の素晴らしい良機だった
任天堂の主要IPをそれぞれどう厳正に管理していくかについては
GC頃にはかなり体制がしっかりしてたと思う
風タク完成しない!→岩田「夏までに出せ」→後半アレ
風タクは冬発売
IP管理体制はGC時代が一番ひどかったと思うけど
64時代の方がまだしっかりしてた
GCの発売2ヶ月前に当時絶大な人気を誇ってたFF10がでてたからな…
GCのFFCCは好きだったからまたでないかなベアラーでもエクスプローラーでもなく
初代路線の延長みたいなの
>>37
GCが出た時点でPS2は発売してすでに1年半経過してて
600万台超えてて最初から勝負になってなかったのよね
64が出た時もPSSS発売から1年半経ってたけど
当時は任天堂の大正義時代がまだ続いてて
PSSS購入を躊躇してるユーザーがかなりいた
それもFF7発売とDQ7発表で勝負あったけど
つかGCは超良ハードだったろ、どうせやった事もないだろうけど
いやー、あんまやりたいソフトなかった…
買ったのピクミン、バテン1.2、シンフォニア、バイオ4.1.0、スマブラ、PSO2、キラー7、エアライド、FE、ファミコンウォーズぐらいだわ
もうその頃からかなりのキチーだったのかよ
2つまでしか付けられないPS2とは違う
マルチタップ付ければいいじゃん
GC(2001)→Wii(2006)→WiiU(2012)
厳密に言うとニンテンドー64のGPU開発したチームが後に設立したのがArtXやぞ
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/20010925/kaigai01.htm
2001年の時点で既に8年の付き合いだったらしい
枯れた技術の水平思考を忘れたのかとな!
でも結果的に失敗から学びWiiやswitchが産まれた
GCはギフトピア、ピクミン、ちびロボ、ペーパーマリオRPGなど名作が産まれた
>>28
> 横井軍平は怒ってたと思う
> 枯れた技術の水平思考を忘れたのかとな!
ワンダースワンやバーチャルボーイのどこに枯れた技術の水平思考があったのやら…
バーチャルボーイはともかくスワンは完全に横井イズムだろ
当時まわりがカラーだカラーだ高性能だって新型機出し始める時期にモノクロ液晶で単三電池一個で上下好きに持てるお手軽携帯機ってかなり斬新だったぞ
しかも価格も6000円くらい
バンダイがクソゲーしか作れなくて終わったけど
白黒スワンは驚異の4800円だぞ!
>>55
ワンダースワンは安くていいと思ってたけど
1年ぐらいですぐにカラーモデルがでて「詐欺じゃねえか」と思った覚えがある
FF4の移植版がやりたくて結局そっちも買っちゃいましたけどw
でもそのすぐ後に今度はGBAが出たんだよな・・・
今考えるとすごい価格だよな
当時はゲームボーイカラーやアドバンスと比較されたけど実際軍平がやりたかったのは初代ゲームボーイみたいなお手軽路線だったんだと思う
結局軍平が死んでバンダイが日和ってカラー化してスクエニが大作っぽいの出し始めてガチオワコン化
あのままお手軽ゲーム機路線続けてたらおもしろかったのに
そういやロンチのグンペイってゲームもかなり売れたよな
PS2とのマルチタイトルは大体GCの方が出来が良かった
バイオ4は有名だが、実はパワプロもGCではロードの早さが段違い
あまりの早さに「これディスクじゃなくて円盤型のカートリッジじゃね?」って疑ったほど
ただ、コントローラーは欠点多かった
ちっさい十字キー、カスカスのLRボタン、押しにくいZボタン
スティック壊れやすかった
64が良すぎた
右スティック無いからなぁ‥‥
今の視点から見ると右ステないとかクソ!だけど2001年9月段階では右ステって何に使うの??状態だったからなぁ
SCEもミニゲーム系ゲームかサルゲッチュの攻撃ボタンの代わりくらいにしか使ってなかったし
森はe+が最高傑作でメトロイドプライムとバイオ4はGOTY
ピクミン、ルイマン、バテンカイトス、動物番長、ちびロボ、F-ZEROGX、ガチャフォース…
正直体感系以外ならWiiより質いいわ
これに加えて多少賛否あるけどゼルダも風タクとトワプリ出てるからな
64ゼルダより俺はこの二つの方が好きだった
当時はPS2強すぎて影に埋もれたけどGCは名ハードだ
普通の人は二台も据え置き機買わないし、GC出るまでに2年くらいかかってたからその間にPS2買って終わりだった
ゲーマーかリアルタイムキッズくらいしか買ってないと思う
あんまり興味なかったけどSEGAが全ハードにソフト供給するっていうからPS2GC箱と揃ってしまった…
あの時代任天堂のソフトがイマイチ不甲斐なかった分SEGAが穴埋めしてくれた
ソニックアドベンチャー2とか出てたしね(PS2では未発売)
>>61
GCのセガゲーは出来がよかったな
不満はエタアルが海外規制か子供規制かでタバコとか表現が微妙に変わってたくらいか…
PS2は6600万ポリゴンと聞いてたのに全然動かなくて驚愕した…なんて話もあったり
スペックの問題でバーチャロンマズーになったりバーチャファイターのキッズのやつとかいまいちな感じだった
あぁでも忍は面白かったな
GBAプレイヤーも良かったね
GBAのゲームがTVで遊べるようになる奴
GBAは遊べるゲームが多かったから中々に有用だった
ある意味でスイッチの原型みたいな仕組みかな
スーパーゲームボーイ…
秀FC
優64
良NS
可Wii、GC
不可WiiU
こんなもんだな
同意だわ
GCの時はPS2が強いってよりDVDに軍配が上がったようなもんだしな
業界人も最初はGCの成功確信してたし
>>88
DVD再生機としても需要がでたがそれ故に同社のDVDプレーヤーが売れないという皮肉
GCのタイトル3作品くらいしか買ってないけど満足度高かったけどなぁ
>>88
いやもちろんDVD需要も大きいがそれだけで勝負ついたってことはないぞ
当時まだブランド力のあったFFが継続してPSにつくこと表明、
当時の据え置きで唯一前世代の互換があり勝ちハードだったPS1の勢いを引き継ぐことができたり
DVD需要だけじゃなく様々な要因が後押しになった
まあ純粋にハードの出来だけ見ればPS2が特に優れてたわけじゃないのは確かだけどね
ハッタリポリゴン数でドリームキャストにしょぼい印象持たせたのはひどい話だった
後半失速したとはいえWiiは2D3D色んなタイトル出してたし挑戦的な新IPも沢山あり
ラスストゼノブレパンドラレギン罪罰エバーブルーみたいなラインナップを揃えてたしもうちょっと評価されてもいいと思うんだ…
その2つが不評だったから失速したんじゃないの‥‥
ゼルダとマリオの本編がどっちもミリオン未達ってのは
当時の岩田社長もかなりショックだったと言ってた
本編並みに売れるマリオカートもミリオン行かなかったからな
冬すぎる
当時はまだまだ性能向上のスピードが早かったし
PS2がクソみたいなハードで開発しにくかったし
バイオ4比較すれば PS360みたいな僅かな差じゃなくて、PS3と PS4みたいな一世代の差があるし
>>95
>PS2がクソみたいなハードで開発しにくかったし
いまだにこんな現実認められてないGC信者がいることに驚くわ
PS2がクソみたいな開発しにくいハードならあんな大量の和洋両方のサードがあんなに大量のゲーム出してくれるかよw
「クソみたいな開発しにくいハード」ってのは64やWiiUみたいなハードのことを言うんだよ。開発しにくすぎてサードが全然ゲーム作れなかったゲームクリエイター泣かせの糞ハード
やっぱプレイステーション信者ってハードのこと全くわかってないんだよなあ
PS2がソフト開発しにくいなんて常識すら知らないとは
プレイステーションに興味無さすぎだろ
「次世代ゲーム機の覇者は、ゲームキューブです」 任天堂株式会社 取締役経営企画室室長 岩田聡氏
https://ascii.jp/elem/000/000/326/326085/
[Q]
ところでゲームキューブの開発は、どのような経緯で始まったのですか?
[岩田]
NINTENDO64の開発が終わり、現場で実際に使ってみて、
その問題点を洗い出すところから、ゲームキューブの開発が始まりましたね。
[Q]
NINTENDO64の問題点とは?
[岩田]
NINTENDO64の前のスーパーファミコンでは、たとえばキャラクタを
画面に表示するスプライトが1画面に何個表示できるだとか、
画面を何枚まで重ねられるかといった、ハードの仕様制限が
ハッキリしていました。つまり、仕様書に「画面は4枚重ね
合わせることができる」と書いてあれば、Aさんが書いた
プログラムでもBさんが書いたプログラムでも同じように
4枚の重ね合わせができ、誰がつくってもその仕様制限は一緒だったのです。
しかし、グラフィックが3Dになってから、ハードの規制が
変質したため「処理時間さえかければ何でもできますよ。
すべての自由は開発者にあります」ということになったのです。
これがクセ者で、ハードの能力と自由度が
上がったことで、逆にゲームにおけるハードの限界が明確
でなくなってしまって、プログラマーにとってはどこまで
ハードの性能を出せるのかがわかりにくくなってしまったんです。
1フレームに何千ポリゴン表示できるのか、
1つのキャラクタには何ポリゴンまで使えるのか、
ゲーム思考ルーチンなどにどれくらいの時間をかけても
表示品質に影響を与えずに済むのか……といったところの
判断が難しくなってきましたね。いずれも「やってみないと
わからない」状態になってしまった。そのため、
“オプティマイズ”や“チューニング”といった工程が必要となり、
これにものすごい手間とエネルギーがかかるようになったんです。
自分の実感では、“オプティマイズ”や“チューニング”といった
本来のゲームをつくる部分ではない仕事に、全工程の4割
くらいの時間とエネルギーを使っていたと思います。
NINTENDO64のソフト開発では、プログラマーやデザイナーが
ハードの仕様に合わせて、試行錯誤しながら小手先の技を駆使し、
少しでも性能が出るように工夫していたんです。
つまり、NINTENDO64時代は、ゲーム制作の本質とは
違う仕事が爆発的に増え、つくり手は思ったとおりに
ゲーム制作ができなくなってしまったのです。
それによって開発はどんどん長期化し、最悪の場合は
発売中止という事態まで起きてしまいました。
このまま、クリエイティブとは言えない無駄な作業が
増えていくのであれば、ゲーム産業そのものに未来はないと
我々は考ええたのです。
でも実際この設計思想のお陰で、
Wiiの時代もほとんど中身を変えずに適応できた
開発耐性の高いプラットホームになったんだよな
少なくともマリオ64や時オカの後にあれプレイさせられた当時のゲーマー達みんな阿鼻叫喚だったよ
当時にタイムスリップして「サンシャインも風タクも名作だろ!」とか言いに行っても絶対袋叩きにされる
まあ64を経てなくて、マリサンやタクトが初の3Dマリオ・3Dゼルダって層もそこそこ居ただろうしな
そう考えればまあ解らんでもないな
ベロニカ路線の幻のバイオ4やアウトブレイクな方向に向かってもっと早くにブランド終わってた
バイオも3の時点ですでにマンネリ感がでてたものな
GCと言うハードがあったからこそ、4で新路線に挑戦でき、結果的にそれが当たったんだよな
全体的にマンネリ感のすごいハードだったんだなぁ
>>120
ファミ通で長年マンガ描いてた柴田亜美、鈴木みそ、新井清和、桜玉吉、近藤るるる、みずしな孝之
彼ら全員の共通点は
「ファミコンやスーファミでゲームにハマる→PSでマンネリ化して飽きる→
任天堂のゲーム(ポケモン、ゼルダ、スマブラ、ぶつ森他)でゲームへの熱意を取り戻す→PS2で再び飽きてゲームから離れる」
というサイクルでファミ通からも離れてゲーム以外のマンガに移った
PanasonicのQがほとんど売れなかった事を考えると、
DVD需要なんてあまり無かったのかもな
いや付加価値としてのDVDにしてはQは高すぎた
じゃあPS2買うからいいやになるでしょ
金持ってたらPS2とGC買うわになるわけで
ユーザー側からしたらDVD再生需要はPS2で既に浸透してて
ソフト開発側はDVDの容量でPS2選んだからね
FF10をGCに焼き直し移植しなかったのもディスクの枚数が酷い事になるからだったしな
むしろそれならどれだけマシだったか
現実はポンプと猫目と二人乗りと太鼓叩くゴリラ
あの時代の任天堂は「新しいことをして新鮮さを提供する」っていう思想を履き違えてた印象が強い
「革新」じゃなくて「迷走」って表現が当てはまるような64の続編が多すぎた
>>134
確かにあの時期の任天堂は迷走してた
64で当時の感覚としては完璧すぎるソフトばかり出してて
次は一体何を作ればいいのか途方に暮れてたんじゃないかな
ロンチがルイージになったのも、その迷った結果だと思う
ハード戦争としてはPS1のライト路線に負けたけど任天堂信者の原点は64にあると言えるほど熱かった
だけどGCは全てにおいてPS2に完敗してた印象しかない
任天堂でさえ64のマリオとゼルダに縛られて、
抜け出すのに20年かかったぐらいだから、
64版原理主義な信者が今も声大きいの仕方ないか。
あの2作は凄いんだけど、変に基準になっちゃって、
色んなゲームを楽しめない任天堂寄りゲーマーが多く出たんじゃないかなぁ。
特に、ゼルダの伝説 4つの剣+という名作が素晴らしい。
当時、大の大人が4人、GBA持ち寄ってナビトラッカーズ遊んだ時の楽しさったら!!
ニンテンドーランドのは、なんか違うんだよなぁ。
正直に言え、チャツボさんが足りないと
せやな
今は寿司ストライカー
キャリバーは良かったけどあれが本体の性能出しきった代物だったし
無双とかドリキャスじゃ無理だしね
2Dはドリキャスの方が上だったしイースやメタスラ出して欲しかったけど
一方読み込みは凄く速かったんだけどね
任天堂的には容量よりプレイの快適性を重視したんだろう
引用元: ゲームキューブって出す意味あったの?