当時の任天堂は嫌なイメージあったし
(今振り返ると、自分が拗らせてた面が大きいが。メガドライブ買ってたし)
ソフトも安かったからね。
>>14
続き
当時のソニー製品はおしゃれなイメージあったから、ゲームもオシャレになる認知されると思ってたわ
結果は任天堂が一般に広めていったけど
いきなり鉄拳で60fpsゲーミングだったからな
しかも初期はサターンより5000円安い
プレステ基盤かST-Vのどっちが先かは知らんけど、ゲーセンのゲームがそのまま家庭用で遊べるインパクトは凄かったよな。
サターン優勢に見えた時期もあったのよ
見えたっていうかバイオ1がミリオンヒットで出るあたりまではサターンの方が売れてたよ
>>36
ゲーセンではね。
当時はまだポリゴンはゲーセンのゲームでしか表現できないものだったんよ。
サターンで移植決定!ってした時は驚いたけど、発売されたものはゲーセンと比べると大分貧弱な見た目のものだった。
だから、バーチャ2も移植が決定した時は「1の移植であの程度っしょ?無理無理w」って言われてた。
けど、開発ツールの進化のおかげで見た目は割と遜色のないものが発売されて、サターンもやればできる!と、PSに決して負けないハードとして地位を確立してた。
この時代はホント拮抗してた。
これ久夛良木を美化しすぎではあるが当時の感覚だとあのレベルでもCGが凄いって感覚だからな
現代人にはもう理解できないだろうな
>>72
実際の映像これだしな。
https://sp.nicovideo.jp/watch/sm21688322
背景どこから来た。
尚、その後発売されたPSはバグにより、このクオリティレベルのポリゴンを表現する事はできなかった。
その分発揮できない性能分、本体をパワーダウンさせたのが最初の値下げを実現させた理由の一つでもある。
思ったよりすごかった。もっとショボいと思ってたのに
PS1後期のベイグラ辺りまでノウハウ貯まってたらこれくらいは出せるスペックだったんだろうな
64が出れば同じになると思ってたんだがもう任天堂の一人勝ちは終わってた
>>50
殿様商売が行き過ぎたな。
ある一定のクオリティがないとサードにゲームは出させない、と言い出したり慢心してたのはこの時期。
結果、ロンチにゲームが3本出た後(しかもそのうち一つは将棋)3ヶ月ゲームが出てない。
サードのゲームに至っては5ヶ月間出てない。
これもまた、今日まで続く「ハードを普及させるにはソフトだ」って言う指針よね。
PCエンジンとメガドライブも一定の存在感はあったしファミコンvsセガマスター3の時代よりは任天堂一極集中が
崩れる予兆はあったと思う
実際スーファミはファミコンより売れてないし
「同世代では先に出すハードが勝つ」みたいな変な思い込みが出来たんだよな
ドリキャスが逆に証明したのに
なお最初に買ったやつがバカを見た模様
PS1 39800円→15000円
サターン 44800円→20000円
64 25000円→14000円
この世代のせいで初期型を買うやつが情弱という風潮ができてしまった
お前が最もバカっぽいけど
っていうか3DOとネオジオCDのロードがヤバすぎた
あれ初回がクソ長いけど
一度キャラ読んだらそこそこ早くはなるんよ
サターンには絶対勝てんけど
PS1は正直ネオジオCDを笑えるほど早くはない
PS1の超ガバガバ適当移植のKOF95やってたけどネオジオCDのKOFよりはまだ早かった気がするわ
うん、さすがにPS1より早いロードは一つもない
ただPS1は二戦目でロード早くならなかったのよね
ネオジオCDは一度読んだデータを読み直さないから
二戦目から一気に早くなる
>>66
当時のネオジオCDは等速ドライブだったからねえ。
バッファが56Mあります!みたいな謳い文句だったけど、当時PCエンジンが2Mであんなにロードに時間かかってるのに56Mってどんだけ…?と発売前から言われてた。
と言うかSNKはハード展開が下手過ぎる。
ネオポケは白黒版の発売前にカラーも出しますって言っちゃうし。
引用元: 【あの時】SONYがゲーム機出すってなった時ってどんな感じだったの?